10周年記念コラム

「JUra & C.O.D.」

 

C.O.D.が結成されたのが、2005年9月。

“jura”とは、ベース・マツモトが本業ドラムを叩いている

オリジナルハードロックバンドである。

結成して10年、C.O.D.は要所要所でjuraに支えられてここまで来た。


Juraの歴史はさらに長く、メンバーチェンジを繰り返しながら

4人編成だったり、トリオ編成だったり、はたまた2人ユニットでもライブをやり続け、かれこれ20年近く続いているのではないだろうか。



振り返ってみると、C.O.D.の初ライブは、

マツモトの口利きのお陰でangaのトリビュートフェスタに出演できることに

なったわけだし、それも嬉しいことに「オレが認める。間違いない音だ」と

口添えしてくれたからか、デビューライブにも関わらずトリの出順だった。


そして当時のメンバー5人のうち唯一、マツモトだけが現役でライブ経験豊富な

バンドマンだったために、4人がマツモトに「おんぶに抱っこ」状態であった。

ともみんに至っては、この時ドラムを初めて2年数ヶ月での初ライブ、

不安で不安でマツモトのそばにずっとひっついていたらしい。




そして、C.O.D.最初のピンチは、そのデビューライブ直後の

当時のリーダー・アンガスきょんちゃんの脱退であった。




元々、C.O.D.はきょんちゃんとともみんが中心となってメンボで募集をかけ

集まったバンドだったため、ともみんはきょんちゃんから脱退のことを

告げられた時に「ac/dcコピーバンドにアンガスがいないなんて、

C.O.D.は終わりか・・・」と思ったのだ。


が、しかし


意外なことにともみんが脱退の事実を伝えると、全員が「そうか、、、募集かけなきゃな〜」「アンガスなんて集まるかな〜?」「まあ、ボーカルよりは集まりやすいか〜?(笑)」と、誰もが前に進むことを考えており、ともみんは涙が出るほど嬉しかった。



そんなところに、次のトリビュートフェスタの募集があり

全員の士気を高めるためにも、バンドにはライブが必要だ、と考えたマツモトは

juraのやんちゃ部門担当ナッシーに「サポートで出てくれないか?」と、声をかける。

すると「お、いいよ〜。手伝うよ」と嬉しい返事が。


ということで、C.O.D.2回目のライブは、サポートアンガスナッシーとの

コラボライブになったのである。
































C.O.D.5人のうち、2人がjuraという、すごいメンバー。

しかも当時はまだまだ産まれたてのひよっこバンドだったC.O.D.であり、

千葉の大先輩バンドマン「juraのナッシーさん」に手伝ってもらうなんぞ

恐れ多いことだったのだ。

形態的には「jura in C.O.D.」という状態なのだが

実質は「初心者がひっついたjura」状態。




ナッシーとリハを重ねつつ、新アンガスを募集し続けていたところ

「千葉のアンガス・ヤングを急募!」という

地味なシニアのメンボ記事にキカチュウが

「あのう、藤沢なんですけどいいですか?」と、食らいついてきたのであった。



ついでに記載しておこう。

この頃、ナッシーとA-ZOとともみんの3人で

motorheadのコピバンを遊びでやっていた。

誰も覚えていないだろうが「蝦夷鹿ヘッド」という

昭和の暴走族のような名前まであった。

由来は・・・筆者も忘れてしまった。


この遊びバンドは、motorhead大好きのナッシーとともみんが

「遊ぼう!」と盛り上がったのがきっかけで、「ギターはA-ZOに弾かせよう」と

無理矢理連れ込んでのトリオバンド。

最初の練習は、A-ZOの激しい時空の歪みっぷり

林家パー子が大騒ぎしているとしか思えない、

すっとこどっこいなスタジオであった。


https://www.youtube.com/watch?v=CYMCvLJ35hw&feature=youtu.be


このズレっぷりは最初の練習の時のみであることを

A-ZOの名誉のために付け加えておこう。

そして、なぜか初回のこの音源しか残っていなかったことも記しておく。









そしてC.O.D.2回目のライブ。























ものすごい集合体である。

所謂カオスである。





ライブの様子は当時のライブレポを読んでいただきたい。

まだ、「ナッシーさん」と、さんづけしているあたりが初々しい当時の様子が

伺えると思う。


そして、2回目ライブの後に、キカチュウが正式にC.O.D.に正式に加入。



こうして、初ライブ直後、危うく路頭に迷うとこだった子鹿のバンビ的C.O.D.が

この後パーマネントバンドとして長きに渡って活動を続けてこれたのは

juraのお陰であった。



記憶に新しいところでは、2015年1月31日のライブに

急に出れなくなったマツモトの代わりに、現juraのベース・ずんちゃんが

サポートベースを引き受けてくれ、無事にライブを敢行している。






















ありがとう、jura。

これからもよろしく。




2015.2.8

文・絵/ tomomin